建築思考整理

無責任と適当な感想

卒業設計を終えて、乱文 20240303

卒業設計、一段落

長きにわたって続いてきた卒業設計が、やっと一段落した。色々と思うところがあり、筆を取っている。

自分の心の汚いところに触れる

いきなり、設計の具体的な内容ではないところになってしまう。卒業設計は常に、自己嫌悪との戦いであった。己を律する力による戦いであった。幾度となく理不尽な怒りを心の底に見出し、気づいては嫌な気持ちになった。

卒業設計の半分は、スケジュール管理の力であると、今になって思う。以前から、先輩には散々言われてきたことであったが、私の中にあるスケジュールが机上の空論であることに気づくのにそう時間はかからなかった。図面は遅れ、一人で模型を作る日には優先順位を間違え、いらないところにこだわり、本質を見失った。もっと上手くやれば、もっと綺麗にできたのだろうが、これも今だから言えることである。

都市研だから、意匠に興味のある人は来てくれない。本当はもっとすごい設計なのに、それを表現できないだけ。自分がやればもっと上手くできるのに、などなど。枝葉では正しいこれらの言葉たちは、全体では正しくない。結局全部自分に返ってくる。後輩と人脈を組み立て、できる作業を見極め、適切に配分し、無理のない予定を組む努力を怠った自分に返ってくる。そこで同級生たちを妬んでも意味がない。

頭ではわかっているのだが、このやり場のない嫉妬をどうすれば良いのか。提出前の自分はかなり参っていたと思うし、周りからもそう言われた。何しろ、その怒りに何の正当性がないことは、自分が一番よくわかっている。だからこそ自分が嫌いになる。些細なことにイライラする。ついに周りでかかっている音楽に怒りが湧いた時には、もうダメだなと思った。

ネットで見かけるパワハラをはじめとする社会問題に、インスタントな怒りを覚えて生きてきた。けしからんと思いつつ、結局自分も本質的にそういった人間であることが露わになってゆくのはとても怖かった。卒業設計が終わった日、大学に入って初めて涙を流した。一つは最後までやり遂げられなかった悔しさであり、もう一つは自分の心の汚さについてである。

自分は変えられる?ええ、そうだろう。少なくとも表面上は。しかし、追い込まれて初めて見えるあの自分を変えられる自信は、提出日から一月たった今でも全くない。これからもああいう自分を内底に潜ませて生きてゆくのだろう。幸い人間には理性がある。理性があるうちは大丈夫。この感情を知れたのは、間違いなく私に取っての大きな資産になっただろう。全て背負って生きてゆこうと、今決意を新たにしておく。

結局、社会的意義とはなんなのか

打って変わって、設計の話をしたい。建築学科で学んだ四年間で、自分にとって最大のテーマだったのは、おそらく建築と社会的意義についてであったと思う。できすぎたストーリーが嫌いだった。説明できないものが好きだった。学生コンペの入選作を見ていても、何かが胡散臭く見えてしまう。薄っぺらいビジネスの提案を見ているような気持ち悪さを感じてしまう(オチは、一目見て作品を断罪している私が一番薄っぺらいという点であるが)。

もっと、深いところから出てくる興味とか、隠しきれない趣味とか、そういうのを見るのが好きだった私は、卒業設計もそういった方向性でいこうと早いうちから決めていた。自分の見たい景色をひたすら作る。ただそれだけ。だから、川越駅を敷地に選んだ。歴史の文脈が強い都市だからこそ、新しいものが入り込む余地があると思った。土地の文脈を読むことは、その土地にすでにあるものの模倣ではない。ある事象についての応答は、複数あって然るべきである。屋根の形を真似して、路地の形を真似して、そんな表面的な模倣にとどまりたくない。一度疑ってみて、それでもそれが正しいと思うなら採用すれば良い。なにしろ、既存のものが最新だった頃に思いを向けてみるべきである。

話を戻す。自分の設計がうまくいったかを考えると、あるところまではやりたいことができたと思う。やりきれなかったことや、終わってから思いついたことがあるのは心残りだが、有り体な言葉で言うと「ベストは尽くした」と言うことになるのだろう。

おれは設計者ではなかった、と言う話

バカみたいな話だが、設計期間中で一番楽しかったのは最終日の朝にパースを描いているときであった。絵を描く楽しさを久しく忘れていた。そこにはなんら責任はなく、歪んだ線は自分の思った方向に伸びてゆく。ああ、自由だ、その感覚が心地よくて、久しぶりに筆が乗った。ただこれは、自分が設計した空間が実体化した時の面白さではなかった。ただ単に、絵を描くのが楽しかったと言うだけである。ああ、どこまで行っても私は設計者ではないんだなと、ここまで自覚したことは今までなかった。

研究室を選ぶ時、意匠に行かなかった自分の直感は正しかった。たかが2年で何がわかると言われればそれまでであるが、それでもそのような口出しはたぶんもう心には響かない。お前に何がわかるんだ。それでも、設計をやったことが無駄だったとは思わない。何でもやってみてわかることがあるというのもそうだし、設計的思考が絵を描く時に役立つ時は大いにある。

これから、設計の仕事をすることは、今のところ全く考えていない。絵を仕事にするつもりもないが、それでも一生絵は描いてゆくのだろうなという自信がどこかにある。どこかで発表するのかも知れないし、一生落書き帳の中かも知れない。描くことの楽しさは、忘れないようにしたい。どこまで行っても、自分は絵描きでしかなかったのだから。

締め

何が言いたいかわからない文がここまで続いてしまったが、一番言いたいのは、打算で生きていくなんて無理だということ。何が役に立って、何が役に立たなくてみたいなことが正確にわかるわけないのだから、もがいて生きていこう。そんなことこれまでの分に書いてあったか?知らん。

これから私は大学院に行く。自分の興味を追えることは何と幸せなことだろう。心の迷いを捨てた私は強いぞ。

最後に、卒業設計のプレボおよびパースなどは、Twitterに貼り付けておいた。興味があれば見てみてほしいと書き添えておく。

 

macbook air (M2) を買った日 20240103

パソコンを新しく

表題の通りである。卒業論文を提出した日、パソコンが異常を起こした。正確には、卒論の発表会の日に、である。壇上に上がり、一通りの発表を終えた後、自分の席に戻り、愛用のthinkpadを起動しようとするも、うんともすんとも言わない。たまに調子が悪くなることもあったので(かわいいやつめ)、慌てずあとからメモリを外して最小構成で起動してみた。起動する。なーんだ、と思い、また2枚挿しに戻す。問題なくBIOSに入れる。windowsを立ち上げる。問題なく起動する。再起動する。問題なく起動……しないのである。することもある。すぐに落ちる。使い物にならなくなった。

 

大学生にとって、パソコンは仕事道具であり、なくなっては全く、何もできなくなる。(特に卒業設計が控えている今、CADやillustratorを満足に使えないのは想像以上に痛手だった)家にはデスクトップマシンがあるのでどうにかなったが、ノートが使えないのはつらい。なんとかメモリ一枚なら安定動作することがわかり、騙し騙し使っていつか買い直せばいいくらいに思っていた。

 

年末。なんか画面が突然暗転する事象が発生し始めた。グラフィックドライバの不具合だろうと思い、ドライバを当て直すなど対処を試みたが、偶発的に発生する暗転は(しばらくすると治るとはいえ)私を不安にさせるのには十分だった。慌てて新しいマシンを探すのに奔走し始めた。

 

譲れない条件は三つ。それなりにサクサク動作すること、重すぎないこと、バッテリが持つこと、だ。これまで使ってきたthinkpad E495は素晴らしいマシンなのだが、購入から四年が経ち当時でさえミドルロークラスだった性能は限界が見え始め、重量はSSDを増設したこともあって2キロに迫り、バッテリは当初よりよわよわだった(おそらく持ち運びを想定したマシンではなかったのだろう)。反省を生かして探していると、windowsマシンでも10万円を超えてくる。あれ、これmacbookにも手が届きそうだぞ、airなら安いし、やはり「じつはそれなりにコスパが高いこと」に定評がある🍎に進出する時が来たのかもしれない、そう思った。

 

でも、お金がない。あるにはあるのだが、卒業設計が控えており大きな出費は避けないといけない。どうせ長く使うのでショッピングローンで分割するのは良いとして(24回まで金利0パーセントでローンを組める。そう、学生でもね!)、何か安く入手する方法はないかと探っていたところ、認定整備済み品というものの存在を知る。どうせ小さい擦り傷など気にしないので、こちらで購入してみた。(初売りも考えたけれど、どうせギフトカードもらっても使い道に困るのでこれで良いのである)

 

というわけで、本日macbook air (m2) RAM8GB/ROM256GBモデルが届いた。本当はRAM16GBモデルが欲しかったが、整備済み品になかったので仕方ない。私は動画を作ることはないし、メモリドカ食いで有名なchromeのタブを開きまくることもあまりないので、現時点で満足する性能が得られた。もっとも、重い処理は全部デスクトップパソコンで処理する前提である。

 

はじめてのmacOSではあったが、まあ驚くような体験というわけでもなく、あー、こういうところがwindowsと違うんだ、こういうところはいいな、でももっとここはこうあってほしい、みたいな感じで、それなりに上手く付き合っていけそうというのが今の感想。とりあえず、thinkpadの環境を移植するような気持ちで、一通りソフトウェアのインストールを済ませた。明日から設計で使ってみよう。どんなもんかな。

卒業設計

そんなわけで卒業設計が始まる。というかもう始まっている。この間、中間講評会があって、なんとかそこを切り抜けることはできたが、なかなか建築から離れていた人間にとってアイデアを形にすることは困難なようで、四苦八苦している。どうしたものか、なんとかなるか、一か八かやってみよう。やりきれば、誰かが良さをわかってくれるかもしれない。というか自分が良いと思う物を作らないとやってられない。さいごに信じられるのは結局自分しかいないのだから。

 

 

 

……久しぶりの更新となったが、まあmacbookのキーボードの打ち心地を確かめたかったのが半分である。むかしむかし、家電量販店でバタフライキーボードを打った時は、これが主流になったらおれは死ねるぜ、なんて思ったのだが、現行のキーボードは、これがなかなかやりおる。個人的に最強だと思っているlet's note、次点のthinkpadと比べても遜色なく、なんならthinkpadのキーボードとそこまで劇的な差異はないと言っても良いかもしれない。キーボードとは長い付き合いになることがわかっているので、これから仲良くしてください、macbook airくん。

盲目の建築学生 20221021

シーンが浮かぶのに図面が起こせないなら、必要諸室を書き出してみりゃよい。言うのは簡単、やるのは難儀。書き出したところで、うまいこと仕方に収まらない。なんとか納めて、簡単な図面を書いて、模型にしたら問題点がゴーロゴロ。

 

当たり前だ。想像力が足りていないから。一つのことに夢中になって、他のことが見えなくなっている。なるほど、これも総合力。

 

絵を描いて生きていきたかった。やる前から無理と決めつけて、その道には進まなかった。気ままに描く絵は無責任だし、楽しい。思えば設計課題など、無責任でよかったはずだ。いつからか、さも自らがプロであるかのように責任感を振りかざし、自分を押さえつける設計ばかりしていた。

 

最終的にはそこに行き着くとしても、構想が下手な私には最初に吹っ飛ぶことができない。人の得意不得意はよく現れるものだ。私の描く絵も実に勤勉、悪く言えば遊びがないものばかり。設計の性格がドローイングに表出するのは、どうやら偶然ではないようである。

前歯欠損所感 20220623

前歯を2本折った。自転車で単独事故である。雨天下、夜。速度こそ大して乗っていなかったが、転倒した自転車は非情にも私の体を頭から放り出した。肌は、マスクが守ってくれた。何故か、顔以外は無傷だった。ただし、前歯が二本折れた。

永久歯ということばが、一瞬のうちに嘘になった。形あるものは、いつかなくなってしまう。当たり前のことを、こんなに強く実感したのはいつ以来か。

私がもしもイケメンだったら、この傷ついた顔にひどく落ち込むのだろう。一生ひとまえで笑顔を見せられないと、塞ぎ込んでしまうかもしれない。モデルでも俳優でもなく、常にマスクをしている世の中で、表面上私は傷ついていない。

ただ、一つ恐ろしいことがある。形あるものは、いつかなくなってしまうこと。今回の事故で指を失っていたら、私の建築の夢はたちまちのうちに崩れ去り、残るのは空虚のみである。

交通安全を説くのは簡単だ。だが実践は難しい。どんなに気を遣ったって、運が悪ければ歯は抜けるし、骨は折れるし、命はなくなってしまう。私の場合は建築だが、一つのことに命懸けで挑戦することの危うさを、怪我から学んだつもりでいる。

…………。

学科の人たち、部活の人たちに怪我の話をしたのは、みんなに同じ過ちをしてほしくないからと説明している。これは本心だが、今思えば一番の目的は構ってもらう、心配してもらうことだった気がする。表面上は冷静だったものの、ずっとあると思っていたものがたちまちのうちに無くなってしまった不安を、自ら引き出した心配でかき消したかったのだろう。こんな卑しい自分を反省しつつ、私を心配してくれた皆に、こんなところでも感謝の意を伝えさせていただきたい。

住環境について 20220403

3年に上がるにあたって、一人暮らしを始めた。大学の近くのワンルームに引っ越した。必要なものは全部買った。足りないものは頑張って買い足した。やることなすこと、全部自分の責任。やりたいときに、やりたいことをやろう。がんばりたくないときは、さぼっていればいい。全部自分に、いつか返ってくること。

 

充実した設備ではない。まず、うちは冷蔵庫置き場がない。キッチンはとっても狭い。3口コンロに慣れていたから、今はかなり苦労して(と言っても想定以下だが)料理をしている。でも、ここにきて一つ感じたことがある。

 

なんにでも手が届く生活って便利である。コンパクトにパッケージングされた暮らしは非常に居心地がよく感じる。むかし、立体最小限住宅やカプセル型の住居で提案されたような、パッケージされた暮らしが、形態こそ違えどここにある。余裕もない、ぜいたくさもない、しかしある意味で完成された暮らしの場である。

 

設計職について、利便性の高い住居を作りたいとずっと夢見てきた。だが、利便性というのは、結局コンセントの数や位置とか、細かいところに現れてしまうものだ。これは設計のなせる業であるが、多くの人がやりたい設計とはかなり異なったものだろう。間取りとか、造作とか、そういう話は一度置いておいて、結局テンプレートにのっとった住居が利便性が高いことを、私は知ってしまった。

 

結局設計者に求められることは付加価値なのだと思う。個性のないアパートに住む人が家具やポスターで個性を出そうとしたり、そのような次元の話を設計段階にまでさかのぼって持たせることが求められるのだろう。家は一生ものの買い物であると同時に、一点ものであるということは、その言葉の上っ面だけではなく、自己表現としての住居の役割を端的に表したものなのだと、しみじみ実感する今日この頃である。

 

(寸法感覚とか、配置とかが素晴らしいことが居住性に直結することは十分に理解したうえでの見解です)

東北・北海道旅行記 20220310

北海道&東日本パス

北海道&東日本パスは、JR北海道JR東日本の料金不要の普通・快速列車が7日間に渡って乗り放題になるお得な切符である。価格は11330円、18きっぷより有効期限が2日間も長いうえに、並行在来線として切り離されたいわて銀河鉄道線青い森鉄道線に加えてほくほく線も乗れるという優れモノである。今回は、この切符を利用して、埼玉から北海道まで長い長い旅路に出たのである。道中で見た様々を忘れないよう、ここに記しておきたい。今回の記事は長くなりますよ!(誰が読んでるんだ、こんなとこ。)

 

1日目 仙台まで 町おこしと震災復興を思う

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常磐線上野駅を出る。東京の駅は古レールのトラスが見える駅が多く楽しい。7:35

普通列車を使えないとなれば、すべきことは一つである。朝早く出るのだ。今回は、震災から晴れて復旧した常磐線への乗車を目指し、大宮から一度上野のほうに向かった。今や都心からかなり離れてもずっと同じ車両に乗ることになる。微塵も旅行気分を味わわないまま、我々は北に向かって運ばれてゆく。

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鹿島臨海鉄道(Kashima Rinkai Tetsudo)小港鉄道に通じるところがある。9:42

同行者に連れられ、水戸から乗り換え、大洗に向かう。私は小耳にはさんでいた程度であったのだが、なるほどこれはすごい。街を上げてガルパン推しである。私も履修していればもっと楽しめたのだろうが、差し引いても素晴らしい処であった。何よりも商店街がシャッターだらけになってないのがすごい。これについては、はじめから行政が一丸となって行ったアニメ・ツーリズムではなく、自発的に起きた聖地巡礼行動の延長線上に位置づけられているということが重要であると思う。オタクというのは、基本的に(表面上のみのことも多いが)人から楽しみ方を強要されることを嫌う。皆が参加者となっている大洗の例は、安直な町おこしに対し警鐘を鳴らしているようにも映った。

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改札を出たらこれである。すごい。10:05

茶店で昼食を取ったり、マリンタワーに登ったり、大洗磯前神社に行ったりとまっとうに観光しつつ、昼下がりには水戸を出る。相変わらずロングシートに揺られながら、常磐線を行く。そして1日目最後の寄り道、双葉駅へ。震災に原発事故と大きな災害に見舞われ、一時は人が去った街にも、列車の音がこだまする。駅前はアートにより少しの賑わいを見せ、きれいな駅舎や公共施設が復興を先導する。一方で、震災発生時刻で止まった消防団の施設や入れ替えのされていない自動販売機が立ち尽くす光景は印象的であった。結局、我々はどこまで行っても傍観者である。どのような言葉をかけたところで、それは空想に過ぎない。しかし、それでもこのような現実を目の当たりにするといろいろと思うところがあるのだ。そのまま、22時過ぎには仙台に入った。大都市ながら、どこか上品さをもつ。それが仙台への第一印象であった。

 

2日目 仙台の名建築をめぐる

このような情勢の中、宮城県美術館が開いていると知る。本館は前川國男の設計であり、竣工は1981年。彼の晩年の作品である。会館が遅かったので、一度青葉城のほうに向かってから、10時過ぎに現地入りした。なるほど、これは端正なモダニズム建築だ、そんな感想を持ちながら、建物へアプローチしてゆく。回り込むように階段をのぼり、徐々に建物の全容が見えてくる。ヘンリームーアの彫刻に迎えられ、目の前に現れた建物の表面はきれいな正方形のタイルに覆われていた。寸分の狂いもなく設置されたタイルは、仕事の丁寧さについては感服するばかりであった。列柱に誘われてピロティのほうへ向かう。一本だけ中庭のほうを向いた柱が、遊び心を感じさせる。大きな吹き抜け、作品を展示することに特化した展示室。今の観点から見れば、これといった見どころのない建築に映るのかもしれない。それでも、その完璧に取られたプロポーションや、繊細なディティールからは、きわめて日本的な感性が読み取れる。居心地の良さで、私はすっかりここを気に入ってしまった。

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列柱に誘われて。10:25

そのあとは、本日のメインディッシュであるせんだいメディアテークへ。ちょうどデザインリーグの時期ではあるが、少し時期が悪かった。悔しさに唇をかみながらも、定禅寺通りのほうへ。麻婆焼きそばを食べるつもりで中華料理屋に向かうが、入居している建物が何やら目を引く。調べてみたら、これが宮城県民会館だそうな。設計は山下寿郎。かの有名な霞が関ビルディングの設計者である。何を隠そう、私はこのようないかにもな60年代の建築が大好物である。さすがに古い建物とあって、建て替えが検討されているようであるが、このようなタイミングでここを見れたことを幸運に思う。

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ネーミングライツにより、東京エレクトロンホール宮城を名乗る。13:58

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せんだいメディアテーク。竣工は2000年8月、ほぼ同い年である。

そしてせんだいメディアテーク。まずは外観で度肝を抜かれた。この建物のすごさは写真では伝わらない。佇まい、スケール感、周囲の木々との呼応など、どれをとっても完成されている。遠くから見てアッと驚き、中に入れば鉄骨の構造体に頭が混乱する。内装デザインは伊藤豊雄らしく、アクセントとしてパンチメタルが用いられる。建物の主要用途は図書館であり、当日も多くの仙台市民でにぎわいを見せていた。仙台市民はこんな贅沢な建物を当たり前にみているのか?そう考えると恐ろしくなってきた。図書館のスペースは窓からかなり離れたところに本棚が設置されており、日射の影響も最小限に抑えられていた。本を手に取り、窓際の長椅子に座って読む。なんて合理的なのだろう。このような方法においては、ガラス張りの図書館というのは成立することを知った。

仙台を出ると、もうひたすらに701系天国(地獄?)である。私はロングシートに対してあまり嫌悪感を持っていないから、そこまでの苦痛ではないのだが、なるほどどこまで行ってもこれである。とりあえずは盛岡まで行き、そこで2日目を終了とした。一年前と同じ「銀河鉄道のりば」の看板が我々を出迎えてくれた。だからIGRをつけろ、と。

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これで宇宙に行けますかね。20:18

3日目 青函連絡船、夢のあと

青森県へ向かう。IGRいわて銀河鉄道に乗れば、701系とはオサラバである。代わりにやってくるは、IGR7000系。つまり701系の同型車である。何も変わってない?いや、そんなことを言ってはいけない。ともかく、青森までずーっとロングシートである。どんどん雪が深くなる。昔は長編成の列車が行き交った幹線の駅は、今でもその長い距離を持て余している。短いローカル列車が立ち寄るのみとなった駅の端は、除雪されることもなくおいしそうな雪を載せていた。

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東北本線小繋駅。10:05

13時も近くなってきたころ、列車は青森駅へ滑り込んだ。一年前、三厩へ向けて乗った気動車は、真新しい銀色の箱となって隣のホームに鎮座していた。すでにほぼすべてのテナントが退去し、解体の手を待っていた旧青森駅舎は、大きな跨線橋を備えたきれいな駅に変貌を遂げていた。古い駅がそうであったように、この新しい駅舎も新しい記憶を刻み、そしていつかは解体されてゆく。建築は使った人の心に刻まれ、新しい波へ継承されてゆく。

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青函連絡船・八甲田丸。今はミュージアムとして多くの人を迎える。14:30ごろ。

青森駅の近くには、ミュージアムとして開放された旧青函連絡船・八甲田丸がある。中には昔の青森の展示や連絡船の歴史、そして船の説明や車両甲板・エンジンと盛りだくさんだ。ぜひ、一度非日常を体験しに行ってほしい。エンジンは恐ろしく巨大であるし、船の中にレールが敷かれ鉄道車両が置かれているのは、わかっていても違和感のあるものだ。展示車両中かなりの割合が控車だとか言わない。ディーゼル機関車がいるわけがないとか言わない。細かいことは抜きに、楽しんだ人が勝ちである。

 

4日目 夜行フェリーで苫小牧に入る。

前日の22時には、八戸に戻る。本八戸のすぐそばには、ストリップ劇場の廃墟があった。あまりに時代錯誤なものが唐突に表れたものだから、調べてみたらかなり最近まで営業していたらしい。何なら日本最北端だったとか。東京とか、埼玉を行動圏にしていると、このようなものが残っていることはにわかには信じがたいが、現実である。。シャトルバスに乗って八戸のフェリーターミナルへ向かえば、そこで待っていたのはカーフェリー「シルバーエイト」。がらがらの2等船室へ乗り込み、ゆらゆらと揺られながら八戸の明かりを遠くへ見送った。8時間の、短い船旅である。先ほど八甲田丸の巨大なエンジンを見てきた後だったから、今乗っているこの船の下でもあんなに巨大なエンジンがうなっていると考えると、なんだかわくわくした。

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GPS海上である。陸地が近いから電波が入るのだ。24時前。

翌6時、定刻でフェリーは苫小牧港に入った。なるほど、北海道というのは寒い。気温はあまり変わらないはずなのに、乾燥しているうえに強い風が吹いている。朝の冷たい空気に当たりながら、道南バス苫小牧駅に向かう。PayPayが使えるのが珍しくて、つい興味本位で使ってみる。運転手が慣れていないのがおかしかった。

苫小牧から札幌まではすぐである。札幌市の通勤圏であるから、宅地化はかなり進んでいる。なるほど、これが北海道の陸屋根か。雪が落ちないように緩くつけられた勾配の上に雪が積もり、さながら帽子のようであった。札幌市は、いかにも人工的な都市である。京都よりきれいに区切られた碁盤上の街路に、つけられる地名は全部行列みたいに表される。なるほど、あれが赤レンガで、あれがセイコーマート。ゴムタイヤの地下鉄の加速に驚き、市電に揺られて時間の流れを体験する。そういえば、北海道の駅はやたらと開き戸が多い。雪国ならではの工夫に、現代的なヴァナキュラーを感じ取る。

 

5日目 千歳線にて

昨日食べ逃した海鮮丼を求めて苫小牧へ戻った後、千歳線の沿線で引退間際のキハ283を見る。雪路を力強く走り抜けるその姿は、数十年後も変わらず走っているような頼もしさを感じた。千歳線は多くの車種が走るから、見ていて楽しいものである。そういえば、エアポートの721系はやたらと乗り心地が良かった。あれは高級車だよ。碌な写真がないので、苫小牧にあった魚になれる顔出し看板でも貼っておこう。あ、そうそう。ジンギスカンはうまかった。北海道大学に進学した友達にも、久々に会えて嬉しかった。6日目の余った時間で北大は見てきたけど、なるほどあれはシベリアだ。

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魚と人間の御一行様。9:51

6日目 はじめてのLCC

早いもので、最終日である。ちょっと札幌市内をウロチョロした後、新千歳空港へ向かう。帰りの飛行機はJetStar。飛行機に乗るのは二回目、LCCは初めてである。受託手荷物に少々てこずりながらも、丁寧なサービスに感心した。それからのことはあまり話すようなことではない。少し狭い座席に、やたらお尻が痛くなるシート。料金相応ではあるものの、あの値段なら文句はない。何ならもう一度北海道に行く気にさせてくれた。近いうちにまた会おう、北の大地よ。

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すごい北海道を感じた路線名。結局数列の意味が分からない。3/7 12:22

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JetStar 食べたその日から♬ 3/8 14:52




 

旅行を終えて

公共交通で行く旅行が好きである。見えなかった街の性格が見えてくるからである。自家用車は目的地と目的地を点と点で結ぶ。しかし、決まったルートしか走れない電車やバスは、目的地への徒歩移動を強いられる。そこに、街の顔が見えてくる。商店、工夫して使い倒された建物。その土地の風土に合わせた工夫に、特産品。これらは、徒歩の速度に合わせてわれわれの前に現れるのだ。なんてことはない風景を見逃さないように。そこには、利用者によって最終的に行き着いた形態をたくさん含んでいるだろう。設計された様々なプロダクトは、親元を離れ、時には変わり果てた姿でその使命を全うする。不本意かもしれないが、それでいいのである。逆に取り入れたりしながら、世界は今日も進歩している。その一端を目撃することが、私にとっての最大の楽しみなのだ。

 

以上。6日間に渡る旅行記の締めくくりとする。

リアリティとは 20220207

空想と実現性のはざまで

卒業設計が終わった。といっても、私はほんの少しのにぎやかしをしただけなのだが。というかまだ二年生ですし。そして、その中で感じた実現可能性とは何か・リアリティとは何かという話に自分なりの、現時点の意見を記しておきたい。そう思い執筆している。

卒業設計とは、究極の妄想行為であると思っている。というか、建築学生の設計課題は、実際に立つことがないという意味では、すべて妄想行為である。そのすべての妄想行為の頂点に位置する卒業設計こそが、究極の妄想行為である、と。妄想行為は物理に支配されない。20メートルスパンのRC大梁だって、(さすがに怒られるとはいえ)空想の中に存在し得る。逆に言うと、どんなにリアリティを求めても、仮にすべての部材表・納まりの図面を作ったとしても、それは妄想にすぎないともいえる。

ぶっ飛んだ妄想は無駄な行為か

建築が目指す先は物理である。学生時代に積んだ多くの妄想の経験が、いつか構造も持ち、マテリアルを伴い、衆目の目にさらされ、使われ、何らかの体験をもたらし……。多くの人が漠然と描く未来はこんな感じだろう。では、最終的に物理的な空間に落とし込まれるのならば、リアリティのない、極端な提案は無意味なのだろうか。

大衆迎合的になるということ

リアリティの評価軸は、過去である。建築の場合、当然だが前例はすべてリアルに存在している。リアリティを求めることは、すなわち過去へとらわれ続けることを意味している。昔のぶっ飛んだ人たちが作ってきた多くの実例を踏襲し続けていては、進化や発展は望めないだろう。今、多くの人が当たり前のように設計しているRCのビルだって、コルビュジエが始めた時は奇異をもって迎えられたはずだ。クリスタルパレスが建った時は、崩れる不安から大規模な実験を行ったとも聞く。今、京都駅のアトリウムが全部崩落するなんて思っている人は誰もいない。ぶっ飛んだ行為は、次世代の当たり前を作る力を大いに秘めている。

安易さが見えてはいけない

何をやってもよいかといえば、そうなのだろう。しかし、空想的なものにしても、そこに明確なストーリーがなければ、説得力に欠けてしまう。独りよがりの妄想で進むことが出来るのは、頭の中だけである。「貴方にはわからないだろう」という意識の下で作られたものは、本当に誰にもわからずに終わってしまう。うまくリアリティとのバランスを探りながら、二年後の卒業設計に臨めたらよい。