建築思考整理

無責任と適当な感想

東北・北海道旅行記 20220310

北海道&東日本パス

北海道&東日本パスは、JR北海道JR東日本の料金不要の普通・快速列車が7日間に渡って乗り放題になるお得な切符である。価格は11330円、18きっぷより有効期限が2日間も長いうえに、並行在来線として切り離されたいわて銀河鉄道線青い森鉄道線に加えてほくほく線も乗れるという優れモノである。今回は、この切符を利用して、埼玉から北海道まで長い長い旅路に出たのである。道中で見た様々を忘れないよう、ここに記しておきたい。今回の記事は長くなりますよ!(誰が読んでるんだ、こんなとこ。)

 

1日目 仙台まで 町おこしと震災復興を思う

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常磐線上野駅を出る。東京の駅は古レールのトラスが見える駅が多く楽しい。7:35

普通列車を使えないとなれば、すべきことは一つである。朝早く出るのだ。今回は、震災から晴れて復旧した常磐線への乗車を目指し、大宮から一度上野のほうに向かった。今や都心からかなり離れてもずっと同じ車両に乗ることになる。微塵も旅行気分を味わわないまま、我々は北に向かって運ばれてゆく。

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鹿島臨海鉄道(Kashima Rinkai Tetsudo)小港鉄道に通じるところがある。9:42

同行者に連れられ、水戸から乗り換え、大洗に向かう。私は小耳にはさんでいた程度であったのだが、なるほどこれはすごい。街を上げてガルパン推しである。私も履修していればもっと楽しめたのだろうが、差し引いても素晴らしい処であった。何よりも商店街がシャッターだらけになってないのがすごい。これについては、はじめから行政が一丸となって行ったアニメ・ツーリズムではなく、自発的に起きた聖地巡礼行動の延長線上に位置づけられているということが重要であると思う。オタクというのは、基本的に(表面上のみのことも多いが)人から楽しみ方を強要されることを嫌う。皆が参加者となっている大洗の例は、安直な町おこしに対し警鐘を鳴らしているようにも映った。

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改札を出たらこれである。すごい。10:05

茶店で昼食を取ったり、マリンタワーに登ったり、大洗磯前神社に行ったりとまっとうに観光しつつ、昼下がりには水戸を出る。相変わらずロングシートに揺られながら、常磐線を行く。そして1日目最後の寄り道、双葉駅へ。震災に原発事故と大きな災害に見舞われ、一時は人が去った街にも、列車の音がこだまする。駅前はアートにより少しの賑わいを見せ、きれいな駅舎や公共施設が復興を先導する。一方で、震災発生時刻で止まった消防団の施設や入れ替えのされていない自動販売機が立ち尽くす光景は印象的であった。結局、我々はどこまで行っても傍観者である。どのような言葉をかけたところで、それは空想に過ぎない。しかし、それでもこのような現実を目の当たりにするといろいろと思うところがあるのだ。そのまま、22時過ぎには仙台に入った。大都市ながら、どこか上品さをもつ。それが仙台への第一印象であった。

 

2日目 仙台の名建築をめぐる

このような情勢の中、宮城県美術館が開いていると知る。本館は前川國男の設計であり、竣工は1981年。彼の晩年の作品である。会館が遅かったので、一度青葉城のほうに向かってから、10時過ぎに現地入りした。なるほど、これは端正なモダニズム建築だ、そんな感想を持ちながら、建物へアプローチしてゆく。回り込むように階段をのぼり、徐々に建物の全容が見えてくる。ヘンリームーアの彫刻に迎えられ、目の前に現れた建物の表面はきれいな正方形のタイルに覆われていた。寸分の狂いもなく設置されたタイルは、仕事の丁寧さについては感服するばかりであった。列柱に誘われてピロティのほうへ向かう。一本だけ中庭のほうを向いた柱が、遊び心を感じさせる。大きな吹き抜け、作品を展示することに特化した展示室。今の観点から見れば、これといった見どころのない建築に映るのかもしれない。それでも、その完璧に取られたプロポーションや、繊細なディティールからは、きわめて日本的な感性が読み取れる。居心地の良さで、私はすっかりここを気に入ってしまった。

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列柱に誘われて。10:25

そのあとは、本日のメインディッシュであるせんだいメディアテークへ。ちょうどデザインリーグの時期ではあるが、少し時期が悪かった。悔しさに唇をかみながらも、定禅寺通りのほうへ。麻婆焼きそばを食べるつもりで中華料理屋に向かうが、入居している建物が何やら目を引く。調べてみたら、これが宮城県民会館だそうな。設計は山下寿郎。かの有名な霞が関ビルディングの設計者である。何を隠そう、私はこのようないかにもな60年代の建築が大好物である。さすがに古い建物とあって、建て替えが検討されているようであるが、このようなタイミングでここを見れたことを幸運に思う。

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ネーミングライツにより、東京エレクトロンホール宮城を名乗る。13:58

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せんだいメディアテーク。竣工は2000年8月、ほぼ同い年である。

そしてせんだいメディアテーク。まずは外観で度肝を抜かれた。この建物のすごさは写真では伝わらない。佇まい、スケール感、周囲の木々との呼応など、どれをとっても完成されている。遠くから見てアッと驚き、中に入れば鉄骨の構造体に頭が混乱する。内装デザインは伊藤豊雄らしく、アクセントとしてパンチメタルが用いられる。建物の主要用途は図書館であり、当日も多くの仙台市民でにぎわいを見せていた。仙台市民はこんな贅沢な建物を当たり前にみているのか?そう考えると恐ろしくなってきた。図書館のスペースは窓からかなり離れたところに本棚が設置されており、日射の影響も最小限に抑えられていた。本を手に取り、窓際の長椅子に座って読む。なんて合理的なのだろう。このような方法においては、ガラス張りの図書館というのは成立することを知った。

仙台を出ると、もうひたすらに701系天国(地獄?)である。私はロングシートに対してあまり嫌悪感を持っていないから、そこまでの苦痛ではないのだが、なるほどどこまで行ってもこれである。とりあえずは盛岡まで行き、そこで2日目を終了とした。一年前と同じ「銀河鉄道のりば」の看板が我々を出迎えてくれた。だからIGRをつけろ、と。

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これで宇宙に行けますかね。20:18

3日目 青函連絡船、夢のあと

青森県へ向かう。IGRいわて銀河鉄道に乗れば、701系とはオサラバである。代わりにやってくるは、IGR7000系。つまり701系の同型車である。何も変わってない?いや、そんなことを言ってはいけない。ともかく、青森までずーっとロングシートである。どんどん雪が深くなる。昔は長編成の列車が行き交った幹線の駅は、今でもその長い距離を持て余している。短いローカル列車が立ち寄るのみとなった駅の端は、除雪されることもなくおいしそうな雪を載せていた。

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東北本線小繋駅。10:05

13時も近くなってきたころ、列車は青森駅へ滑り込んだ。一年前、三厩へ向けて乗った気動車は、真新しい銀色の箱となって隣のホームに鎮座していた。すでにほぼすべてのテナントが退去し、解体の手を待っていた旧青森駅舎は、大きな跨線橋を備えたきれいな駅に変貌を遂げていた。古い駅がそうであったように、この新しい駅舎も新しい記憶を刻み、そしていつかは解体されてゆく。建築は使った人の心に刻まれ、新しい波へ継承されてゆく。

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青函連絡船・八甲田丸。今はミュージアムとして多くの人を迎える。14:30ごろ。

青森駅の近くには、ミュージアムとして開放された旧青函連絡船・八甲田丸がある。中には昔の青森の展示や連絡船の歴史、そして船の説明や車両甲板・エンジンと盛りだくさんだ。ぜひ、一度非日常を体験しに行ってほしい。エンジンは恐ろしく巨大であるし、船の中にレールが敷かれ鉄道車両が置かれているのは、わかっていても違和感のあるものだ。展示車両中かなりの割合が控車だとか言わない。ディーゼル機関車がいるわけがないとか言わない。細かいことは抜きに、楽しんだ人が勝ちである。

 

4日目 夜行フェリーで苫小牧に入る。

前日の22時には、八戸に戻る。本八戸のすぐそばには、ストリップ劇場の廃墟があった。あまりに時代錯誤なものが唐突に表れたものだから、調べてみたらかなり最近まで営業していたらしい。何なら日本最北端だったとか。東京とか、埼玉を行動圏にしていると、このようなものが残っていることはにわかには信じがたいが、現実である。。シャトルバスに乗って八戸のフェリーターミナルへ向かえば、そこで待っていたのはカーフェリー「シルバーエイト」。がらがらの2等船室へ乗り込み、ゆらゆらと揺られながら八戸の明かりを遠くへ見送った。8時間の、短い船旅である。先ほど八甲田丸の巨大なエンジンを見てきた後だったから、今乗っているこの船の下でもあんなに巨大なエンジンがうなっていると考えると、なんだかわくわくした。

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GPS海上である。陸地が近いから電波が入るのだ。24時前。

翌6時、定刻でフェリーは苫小牧港に入った。なるほど、北海道というのは寒い。気温はあまり変わらないはずなのに、乾燥しているうえに強い風が吹いている。朝の冷たい空気に当たりながら、道南バス苫小牧駅に向かう。PayPayが使えるのが珍しくて、つい興味本位で使ってみる。運転手が慣れていないのがおかしかった。

苫小牧から札幌まではすぐである。札幌市の通勤圏であるから、宅地化はかなり進んでいる。なるほど、これが北海道の陸屋根か。雪が落ちないように緩くつけられた勾配の上に雪が積もり、さながら帽子のようであった。札幌市は、いかにも人工的な都市である。京都よりきれいに区切られた碁盤上の街路に、つけられる地名は全部行列みたいに表される。なるほど、あれが赤レンガで、あれがセイコーマート。ゴムタイヤの地下鉄の加速に驚き、市電に揺られて時間の流れを体験する。そういえば、北海道の駅はやたらと開き戸が多い。雪国ならではの工夫に、現代的なヴァナキュラーを感じ取る。

 

5日目 千歳線にて

昨日食べ逃した海鮮丼を求めて苫小牧へ戻った後、千歳線の沿線で引退間際のキハ283を見る。雪路を力強く走り抜けるその姿は、数十年後も変わらず走っているような頼もしさを感じた。千歳線は多くの車種が走るから、見ていて楽しいものである。そういえば、エアポートの721系はやたらと乗り心地が良かった。あれは高級車だよ。碌な写真がないので、苫小牧にあった魚になれる顔出し看板でも貼っておこう。あ、そうそう。ジンギスカンはうまかった。北海道大学に進学した友達にも、久々に会えて嬉しかった。6日目の余った時間で北大は見てきたけど、なるほどあれはシベリアだ。

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魚と人間の御一行様。9:51

6日目 はじめてのLCC

早いもので、最終日である。ちょっと札幌市内をウロチョロした後、新千歳空港へ向かう。帰りの飛行機はJetStar。飛行機に乗るのは二回目、LCCは初めてである。受託手荷物に少々てこずりながらも、丁寧なサービスに感心した。それからのことはあまり話すようなことではない。少し狭い座席に、やたらお尻が痛くなるシート。料金相応ではあるものの、あの値段なら文句はない。何ならもう一度北海道に行く気にさせてくれた。近いうちにまた会おう、北の大地よ。

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すごい北海道を感じた路線名。結局数列の意味が分からない。3/7 12:22

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JetStar 食べたその日から♬ 3/8 14:52




 

旅行を終えて

公共交通で行く旅行が好きである。見えなかった街の性格が見えてくるからである。自家用車は目的地と目的地を点と点で結ぶ。しかし、決まったルートしか走れない電車やバスは、目的地への徒歩移動を強いられる。そこに、街の顔が見えてくる。商店、工夫して使い倒された建物。その土地の風土に合わせた工夫に、特産品。これらは、徒歩の速度に合わせてわれわれの前に現れるのだ。なんてことはない風景を見逃さないように。そこには、利用者によって最終的に行き着いた形態をたくさん含んでいるだろう。設計された様々なプロダクトは、親元を離れ、時には変わり果てた姿でその使命を全うする。不本意かもしれないが、それでいいのである。逆に取り入れたりしながら、世界は今日も進歩している。その一端を目撃することが、私にとっての最大の楽しみなのだ。

 

以上。6日間に渡る旅行記の締めくくりとする。