建築思考整理

無責任と適当な感想

卒業設計を終えて、乱文 20240303

卒業設計、一段落

長きにわたって続いてきた卒業設計が、やっと一段落した。色々と思うところがあり、筆を取っている。

自分の心の汚いところに触れる

いきなり、設計の具体的な内容ではないところになってしまう。卒業設計は常に、自己嫌悪との戦いであった。己を律する力による戦いであった。幾度となく理不尽な怒りを心の底に見出し、気づいては嫌な気持ちになった。

卒業設計の半分は、スケジュール管理の力であると、今になって思う。以前から、先輩には散々言われてきたことであったが、私の中にあるスケジュールが机上の空論であることに気づくのにそう時間はかからなかった。図面は遅れ、一人で模型を作る日には優先順位を間違え、いらないところにこだわり、本質を見失った。もっと上手くやれば、もっと綺麗にできたのだろうが、これも今だから言えることである。

都市研だから、意匠に興味のある人は来てくれない。本当はもっとすごい設計なのに、それを表現できないだけ。自分がやればもっと上手くできるのに、などなど。枝葉では正しいこれらの言葉たちは、全体では正しくない。結局全部自分に返ってくる。後輩と人脈を組み立て、できる作業を見極め、適切に配分し、無理のない予定を組む努力を怠った自分に返ってくる。そこで同級生たちを妬んでも意味がない。

頭ではわかっているのだが、このやり場のない嫉妬をどうすれば良いのか。提出前の自分はかなり参っていたと思うし、周りからもそう言われた。何しろ、その怒りに何の正当性がないことは、自分が一番よくわかっている。だからこそ自分が嫌いになる。些細なことにイライラする。ついに周りでかかっている音楽に怒りが湧いた時には、もうダメだなと思った。

ネットで見かけるパワハラをはじめとする社会問題に、インスタントな怒りを覚えて生きてきた。けしからんと思いつつ、結局自分も本質的にそういった人間であることが露わになってゆくのはとても怖かった。卒業設計が終わった日、大学に入って初めて涙を流した。一つは最後までやり遂げられなかった悔しさであり、もう一つは自分の心の汚さについてである。

自分は変えられる?ええ、そうだろう。少なくとも表面上は。しかし、追い込まれて初めて見えるあの自分を変えられる自信は、提出日から一月たった今でも全くない。これからもああいう自分を内底に潜ませて生きてゆくのだろう。幸い人間には理性がある。理性があるうちは大丈夫。この感情を知れたのは、間違いなく私に取っての大きな資産になっただろう。全て背負って生きてゆこうと、今決意を新たにしておく。

結局、社会的意義とはなんなのか

打って変わって、設計の話をしたい。建築学科で学んだ四年間で、自分にとって最大のテーマだったのは、おそらく建築と社会的意義についてであったと思う。できすぎたストーリーが嫌いだった。説明できないものが好きだった。学生コンペの入選作を見ていても、何かが胡散臭く見えてしまう。薄っぺらいビジネスの提案を見ているような気持ち悪さを感じてしまう(オチは、一目見て作品を断罪している私が一番薄っぺらいという点であるが)。

もっと、深いところから出てくる興味とか、隠しきれない趣味とか、そういうのを見るのが好きだった私は、卒業設計もそういった方向性でいこうと早いうちから決めていた。自分の見たい景色をひたすら作る。ただそれだけ。だから、川越駅を敷地に選んだ。歴史の文脈が強い都市だからこそ、新しいものが入り込む余地があると思った。土地の文脈を読むことは、その土地にすでにあるものの模倣ではない。ある事象についての応答は、複数あって然るべきである。屋根の形を真似して、路地の形を真似して、そんな表面的な模倣にとどまりたくない。一度疑ってみて、それでもそれが正しいと思うなら採用すれば良い。なにしろ、既存のものが最新だった頃に思いを向けてみるべきである。

話を戻す。自分の設計がうまくいったかを考えると、あるところまではやりたいことができたと思う。やりきれなかったことや、終わってから思いついたことがあるのは心残りだが、有り体な言葉で言うと「ベストは尽くした」と言うことになるのだろう。

おれは設計者ではなかった、と言う話

バカみたいな話だが、設計期間中で一番楽しかったのは最終日の朝にパースを描いているときであった。絵を描く楽しさを久しく忘れていた。そこにはなんら責任はなく、歪んだ線は自分の思った方向に伸びてゆく。ああ、自由だ、その感覚が心地よくて、久しぶりに筆が乗った。ただこれは、自分が設計した空間が実体化した時の面白さではなかった。ただ単に、絵を描くのが楽しかったと言うだけである。ああ、どこまで行っても私は設計者ではないんだなと、ここまで自覚したことは今までなかった。

研究室を選ぶ時、意匠に行かなかった自分の直感は正しかった。たかが2年で何がわかると言われればそれまでであるが、それでもそのような口出しはたぶんもう心には響かない。お前に何がわかるんだ。それでも、設計をやったことが無駄だったとは思わない。何でもやってみてわかることがあるというのもそうだし、設計的思考が絵を描く時に役立つ時は大いにある。

これから、設計の仕事をすることは、今のところ全く考えていない。絵を仕事にするつもりもないが、それでも一生絵は描いてゆくのだろうなという自信がどこかにある。どこかで発表するのかも知れないし、一生落書き帳の中かも知れない。描くことの楽しさは、忘れないようにしたい。どこまで行っても、自分は絵描きでしかなかったのだから。

締め

何が言いたいかわからない文がここまで続いてしまったが、一番言いたいのは、打算で生きていくなんて無理だということ。何が役に立って、何が役に立たなくてみたいなことが正確にわかるわけないのだから、もがいて生きていこう。そんなことこれまでの分に書いてあったか?知らん。

これから私は大学院に行く。自分の興味を追えることは何と幸せなことだろう。心の迷いを捨てた私は強いぞ。

最後に、卒業設計のプレボおよびパースなどは、Twitterに貼り付けておいた。興味があれば見てみてほしいと書き添えておく。